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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)147号 判決

大阪府大阪市阿倍野区長池町22番22号

原告

シャープ株式会社

代表者代表取締役

辻晴雄

訴訟代理人弁理士

川口義雄

船山武

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

麻生渡

指定代理人

渡部利行

橘昭成

田辺秀三

奥村寿一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が昭和59年審判第19073号事件について平成2年3月29日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和55年6月23日、名称を「磁気光学記憶素子」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をしたが、昭和59年7月27日に拒絶査定を受けたので、同年10月11日に審判を請求した。特許庁は、この請求を昭和59年審判第19073号事件として審理した結果、平成2年3月29日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をした。

2  本願発明の要旨

情報再生用の光に対して充分な反射率を有する金属反射膜と、

希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の光が磁気面に垂直に入射される光吸収性を有する垂直磁化膜と、

保護膜と

をこの順序で積層して成る構造を備えたことを特徴とする磁気光学記憶素子。(別紙図面1参照)

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)  これに対して、特公昭40-2619号公報(以下「引用例1」という。)には、情報再生用の光に対して充分な反射率を有する金属反射膜と、前記光に対してカー回転を与える磁性合金等の磁性膜とから成る磁気光学記憶素子が記載されている。さらに、引用例1の第3頁左欄4行ないし10行には「カー回転は磁性層の上に酸化けい素あるいは硫化亜鉛のような材料を被覆することによって増すことがよく知られているが、この被覆を用いるとレフレクタンスが小さくなりしたがってフィガーオブメリットの最適値が低下する。しかし、この種の被覆層の磁気光学特性は本発明で明かにした反射基質の使用によってさらに強化することが出来る。」と記載されているから、引用例1には、磁性膜に酸化けい素等の被覆を設けることも示唆されているとみることができる。

また、特開昭54-121719号公報(以下「引用例2」という。)には、希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の光吸収垂直磁化膜を記録担体とした磁気記録媒体が記載されている。

(3)  本願発明と引用例1に記載のものを比較してみると、〈1〉引用例1には保護膜の記載は見当たらないが、磁気記録媒体の磁性膜の傷や劣化防止のために磁性膜の表面に保護膜を設けることはこの出願前普通に実施されていることであり、引用例1における酸化けい素等の被覆が保護膜としても機能することは当業者にとって明らかなことであるので、保護膜については両者に格別の相違があるとはいえない。〈2〉したがって、両者は、本願発明の磁性膜が希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の光が磁気面に垂直に入射される光吸収性を有する垂直磁化膜であるのに対し、引用例1の磁性膜はそのようなものではない(実施例として、鉄-コバルト膜、鉄膜、コバルト膜、ニッケル膜が例示されている。)点で相違するが、情報再生用の光に対してカー回転を与える磁性合金等の磁性膜に、前記光に対して充分な反射率を有する金属反射膜を設けて、カー回転を増加させるという技術思想で共通する。

(4)  上記相違点について検討する。

引用例1に記載された、磁性膜に反射膜を設けてカー回転を増加させるという技術は反射膜によって磁性膜内での光の光路長を増加させることに依拠しているのであるから、このような技術が磁気光学効果を有する他の磁性材料にも有効であること、垂直入射光に対しても斜め入射光に対しても有効であることは当業者が容易に理解しうることである。してみると、磁気光学効果を有する磁性材料である引用例2に記載されている希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性合金等の光吸収性を有する垂直磁化膜を引用例1の磁性膜として用いることは当業者にとって格別困難なこととは考えられない。

なお、引用例2には垂直磁化膜の磁気面に垂直に光を入射することは記載されていないが、垂直磁化膜の磁気光学的読出においては、光を磁気面に垂直に入射することは普通に実施されていることであるので、本願発明における垂直磁化膜についての「光が磁気面に垂直に入射される」という限定に格別の意味は見出せない。

(5)  以上のとおりであるから、本願発明は、この出願前周知の事項、及びこの出願前公知の刊行物である引用例1、2に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)は認める。同(2)のうち、引用例1には、磁性膜に酸化けい素等の被覆を設けることも示唆されているとみることができるとの点は争い、その余は認める。同(3)〈1〉のうち、引用例1には保護膜の記載は見当たらないとの点は認め、その余は争う。同(3)〈2〉は認める。同(4)のうち、引用例2には垂直磁化膜の磁気面に垂直に光を入射することが記載されていないこと、垂直磁化膜の磁気光学的読出においては、光を磁気面に垂直に入射することは普通に実施されていることは認めるが、その余は争う。同(5)は争う。

審決は、本願発明と引用例1の発明との一致点の認定を誤り、かつ両者の相違点についての判断を誤って、本願発明の進歩性を否定したものであるから違法である。

(1)  一致点の認定の誤り(取消事由1)

保護膜については本願発明と引用例1の発明との間に格別の相違があるとはいえないとした審決の認定は、以下述べるとおり誤りである。

〈1〉 審決は、上記の認定をする前提として、引用例1には、磁性膜に酸化けい素等の被覆を設けることも示唆されているとした上、その被覆が保護膜として機能することは当業者にとって明らかであると認定判断しているが、誤りである。

審決が摘示する引用例1(甲第6号証)の「カー回転は磁性層の上に酸化けい素あるいは硫化亜鉛のような材料を被覆することによって増すことがよく知られているが、」との記載(第3頁左欄4行ないし6行)は、酸化けい素等の被覆によるカー回転の増強を述べているにすぎない。しかも、「この被覆を用いるとレフレクタンスが小さくなりしたがってフィガーオブメリットの最適値が低下する。」との記載(同6行ないし8行)は、酸化けい素等の被覆の使用について否定的であることを示している。さらに、「しかし、この種の被覆層の磁気光学特性は本発明で明かにした反射基質の使用によってさらに強化することが出来る。」との記載(同8行ないし10行)は、磁気光学記憶素子において、酸化けい素等の被覆、即ち被覆層に代えて反射基質を使用するものと読むべきである。上記記載の「さらに強化する」とは、酸化けい素等の被覆、即ち被覆層に代えて反射基質を使用すると、フィガーオブメリット、即ちS/N比の最適値が酸化けい素等の被覆の場合に比してより大きくなることを意味するものと解すべきである。

このように、引用例1の第3頁左欄8行ないし10行の上記記載は、酸化けい素等の被覆に代えて反射基質を使用することを意味し、酸化けい素等の被覆と反射基質の両者を併用して、S/N比増加の相乗効果を発揮することを意味するものではない。引用例1における酸化けい素や硫化亜鉛の材料はカー回転を増すことの目的にしか用いられていないのである。

さらに、引用例1には「したがって、被覆のある装置と異なって、本発明は磁気光学回転と反射能との間の最適の関係を達成する構造を選ぶことにより最適のフィガーオブメリットを得る。」(第3頁右欄2行ないし5行)と記載されていて、反射基質を使用するが、酸化けい素等の被覆を用いないこと、即ち酸化けい素等の被覆と反射基質を併用しないことが明確にされている。また、引用例1の図面第2図(別紙図面2の第2図参照)には、磁性層14が銀基質上に沈着しているが、磁性層14の反対側の面は露出しているものが図示されている。

以上のとおり、引用例1には、銀基質上に沈着した磁性層の上に酸化けい素等の被覆を設けることが記載されていないことはもとより、示唆もされていないから、引用例1には、磁性膜に酸化けい素等の被覆を設けることも示唆されているとした上、その被覆が保護膜として機能することは当業者にとって明らかであるとした審決の認定は誤りである。

〈2〉 次に、審決は、保護膜については本願発明と引用例1の発明との間に格別の相違があるとはいえないとする理由の一つとして、磁気記録媒体の磁性膜の傷や劣化防止のために磁性膜の表面に保護膜を設けることが本願出願前普通に実施されていることであるという点を挙げている。

しかし、本願発明における保護膜は、第1に、情報再生用の光に対して充分な反射率を有する金属反射膜が一面に設けられた、希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の、光が磁気面に垂直に入射される光吸収性を有する垂直磁化膜の他面が露出しないように保護するものであり、第2に、情報再生用の光を通過させて磁気面に垂直に入射させるものであるところ、このような作用を奏する保護膜を設けることは、本願出願前普通に実施されていたことではないにもかかわらず、審決はこの点を看過している。

また、磁気記録媒体の磁性膜の傷や劣化防止のために磁性膜の表面に保護膜を設けることは、本願出願前普通に実施されていることではない。被告が援用する乙第2号証(特開昭52-91197号公報)のみで、この点が裏付けられるものではない。しかも、同号証には「ここで保護膜は薄膜生成のために必ずしも必要ではなく、反射防止等光学的特性の改善のために施すものである」(第2頁左下欄14行ないし16行)と記載されていて、保護膜は必須のものとはされておらず、また、その用途は磁性膜の傷や劣化防止のためのものでもない。

〈3〉 したがって、保護膜については本願発明と引用例1の発明との間に格別の相違があるとはいえないとした審決の認定は誤りである。

(2)  相違点についての判断の誤り(取消事由2)

引用例2に記載されている希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性合金等の光吸収性を有する垂直磁化膜を引用例1の磁性膜として用いることは、当業者にとって格別困難なことではないとした審決の判断は、以下述べるとおり誤りである。

〈1〉 まず、相違点を判断するに当たり、「引用例1に記載された、磁性膜に反射膜を設けてカー回転を増加させるという技術は反射膜によって磁性膜内での光の光路長を増加させることに依拠している」とした審決の判断は、引用例1の磁気光学記憶素子の動作原理を誤認したことに基づくものであって誤りである。

引用例1には、カー回転増加の動作原理について、鉄-コバルト等の強磁性材料の磁性膜に平面偏光が入射すると、入射光線は反射光線と屈折光線とに分かれるが、磁性膜の表面から反射する反射光線にはカー回転と呼ばれる磁気光学回転が生じ、一方、屈折光線は透過光として、不透明でない充分に小さい厚さの磁性膜を通過し、磁性膜によって吸収される前に金属反射膜によって反射して、始めに反射した反射光と結合するが、透過光には磁性層の中の光路長が大きくなると共に増す磁気光学回転が生じており、この結合に基づく光の干渉現象によってカー回転が増加し、フィガーオブメリットも従来のものに比して最適となる旨記載されている。

上記記載によれば、反射膜によって磁性膜の中での光の光路長が増大するのは、透過光についてのことにすぎない。したがって、審決は、引用例1の磁気光学記憶素子の動作について、磁性膜で反射する反射光及びこれに生じているカー回転を看過しているのみならず、カー回転の生じている反射光と、金属反射膜で反射し、ファラデー効果が生じている透過光とが干渉してカー回転の増加が生じることをも看過している。

引用例1の発明では、磁性膜が光吸収性を有するために、単純に磁性膜の厚さを増大させて磁性層内での透過光の光路長を増加させただけでは透過光が吸収されてしまい、干渉現象によるカー回転の増加は得られないし、そうでなくても、薄膜による光の干渉はカー回転を増加から減少へと転じてしまうのである。

このように、審決は、引用例1の磁気光学記憶素子の動作原理を誤認しているから、上記判断は誤りであり、これを前提とする、引用例1の技術が磁気光学効果を有する他の磁性材料にも有効であるとの判断も誤りである。

〈2〉 引用例1の磁気光学記憶素子における磁性膜の磁化モードは面内磁化であって、垂直入射光に対しては全く有効ではないから、審決がこの点を等閑にして、引用例1の技術が垂直入射光に対しても斜め入射光に対しても有効であることは当業者が容易に理解しうることであるとした判断は誤りである。

引用例1には、「磁性層14は蒸着技術によって銀基質13上に沈着させた磁性材料の薄膜でありかつその中の磁区が標準磁気記録頭部によって横あるいは縦方向に向けられるような性質を持つものである。」(第1頁右欄下から4行ないし末行)と記載されているが、この記載は、磁気記録頭部、即ち磁気ヘッドを用いて、かつ光を用いることなく、しかも磁化の方向を膜面に並行にして記録することを明示するものである。即ち、引用例1の磁性材料薄膜の磁化モードは面内磁化である。

引用例1の磁性材料薄膜の磁化モードが具体的に面内磁化であることの理由を更に述べれば、次のとおりである。

第1に、引用例1の特許出願の優先権主張の基礎となった米国特許出願番号111231号に係る出願書類(甲第24号証)によると、引用例1の上記記載での「横あるいは縦方向」とは、a transverse or longitudinal direction(甲第24号証明細書第5頁27行、28行)の訳文であって、これらは横方向磁化あるいは縦方向磁化を指称するものであり、いずれも面内磁化である。

第2に、引用例1の「磁気記録頭部(磁気ヘッド)」は「標準磁気記録頭部」とされているが、この「標準」とは、「普通の」とか「ありふれた」とかの意味である。磁気記録頭部(磁気ヘッド)を用いて(かつ光を用いないで)行う磁化に関しては、本願出願時の技術水準において、面内磁化が普通の磁化モードであった。したがって、上記の「標準磁気記録頭部」によって記録される磁化は当然に面内磁化である。

第3に、引用例1の図面第1図(別紙図面2の第1図参照)には、光源からの入射光がレンズ、偏光子Pを通過した後に、磁性構造、即ち磁性材料薄膜Sに斜めに入射し、斜めに出射していることが図示されている。このことは、磁性材料薄膜Sの磁化モードが面内磁化であることを意味している。

第4に、引用例1の鉄-コバルト合金、鉄、コバルト、ニッケルの磁性材料、特にその薄膜では、垂直磁化膜の実現は技術的に不可能である。

このように、引用例1の磁性層の磁化モードは面内磁化であるから、垂直入射光によっては光の波数ベクトルと磁化とが直交し、ファラデー効果、カー効果のいずれであろうと磁気光学効果を得ることはできない。即ち、引用例1の発明においては垂直入射光は全く有効ではないのである。

以上のとおり、審決の上記判断は、引用例1の磁性材料の磁性モードを等閑にしてなされたものであって誤りである。

〈3〉 本願発明の目的は、情報再生用の光に対する反射率を特に低下ないし減少させることなく、反射光のカー回転を増加させて、もって再生信号のS/N比、即ち信号対雑音比の大幅な向上を図ることができる磁気光学記憶素子を提供することにある。一方、引用例2には、ガドリニウム・コバルトの非晶質磁性薄膜を記録担体とする磁気記録媒体について記載されているが、同引用例の発明の目的は、書込みビットを例えば直径1ミクロン以下に極めて小さくしても、磁気的及び熱的に安定な2値信号の記録を行い得るようにすることである。

このように、引用例2に記載のものは、本願発明の目的とは無縁のものであるから、磁気光学記憶素子ではあっても、磁性膜の磁化モードが面内磁化であるために高密度、大容量記憶には不適であって、この点から技術内容の異なる引用例1のものと組み合わせることはできないものというべきである。

また、引用例2の発明では、基板に形成するガドリニウム・コバルトの非晶質磁性薄膜の膜厚を2000Åに選択している(甲第7号証第3頁左上欄17行ないし右上欄1行、第4頁左上欄1行ないし8行)。このガドリニウム・コバルトの非晶質磁性薄膜とは希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金の垂直磁化膜の一種であるが、上記膜厚は、反射光のカー回転の増加の効果を得ることができ、かつ情報再生用の光に対する反射率を保持し得る膜厚である500Åをはるかに超えた大きいものである。このような垂直磁化膜を引用例1の磁性膜として用いて銀基質反射層と組み合わせてみても、上記ガドリニウム・コバルトの非晶質磁性薄膜が光吸収性を有することに基づいて、磁性薄膜の中の透過光は吸収されてしまい、カー回転の増加は得られない。しかも、本願出願当時においては、磁性膜の膜厚を500Å以下にすると垂直磁化膜ではなくて面内磁化膜へと転移を起こすものと考えられていたのであるから、引用例1の磁気光学記憶素子における磁性膜として、本願発明のように垂直磁化膜を採用することは、本願出願当時の技術水準からみて予測不可能なことである。

〈4〉 本願発明における垂直磁化膜についての「光が磁気面に垂直に入射される」という限定に格別の意味を見出せないとした審決の判断も誤りである。

本願発明は、高密度、大容量、かつ書き換え可能な磁気光学記憶素子において、情報再生用の光に対する反射率を特に低下ないし減少させることなく、反射光のカー回転を増加させ、もって再生信号のS/N比が大幅に向上するという効果を達成することができる。カー効果は、光の波数ベクトルと磁化とのスカラー積に比例するので、両者が並行な場合(垂直磁化膜に光が磁気面に垂直に入射する場合)が最も大きいのである。これに対し、引用例1の発明において光を磁気面に垂直に入射させると、磁化モードが面内磁化であることに基づいて、磁気光学回転を全く得ることができない。また、引用例2の発明において光を磁気面に垂直に入射させてもカー回転の増加は得られず、S/N比の改善も期待できない。

したがって、上記判断は誤りである。

〈5〉 以上のとおりであるから、引用例2に記載されている希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性合金等の光吸収性を有する垂直磁化膜を引用例1の磁性膜として用いることは当業者にとって格別困難なこととは考えられないとした審決の判断は誤りである。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定、判断に原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  取消事由1について

〈1〉 本願明細書では保護膜の役割について説明していないが、本願発明のS/N比改善という目的を達成するのは透過光に対する磁気光学効果によるものであって、保護膜の存在がS/N比の改善に関係するとは記載されていないから、保護膜は、磁性膜を傷や劣化から保護するための被覆という普通の意味で解するのが相当である。

ところで、引用例1には「カー回転は磁性層の上に酸化けい素あるいは硫化亜鉛のような材料を被覆することによって増すことがよく知られている」(第3頁左欄4行ないし6行)とカー回転を増加させる周知技術が開示されており、この周知技術の原理は、「上述のように被覆層を用いる場合、カー回転の増加は被覆層中に多重反射が起って各反射がカー成分に寄与するためカー成分の大きさを増すためと考えることが出来る。」(同15行ないし18行)というものであって被覆層にのみ関係し、磁性膜の一面に反射膜を設け、磁性膜の他面での見かけ上のカー回転を増加させるという引用例1に記載された発明の原理とは独立のものであり、同原理につけ加えることができるものである。このことは、引用例1の「しかし、この種の被覆層の磁気光学特性は本発明で明かにした反射基質の使用によってさらに強化することができる。」(同8行ないし10行)の記載からもいえることである。

次に、引用例1の「この被覆層を用いるとレフレクタンスが小さくなりしたがってフィガーオブメリットの最適値が低下する。」(第3頁左欄6行ないし8行)との記載は、被覆を用いた場合の現象を述べているだけで被覆の使用を否定していないし、同じく「したがって、被覆のある装置と異なって、本発明は磁気光学回転と反射能との間の最適の関係を達成する構造を選ぶことにより最適のフィガーオブメリットを得る。」(第3頁右欄2行ないし5行)との記載は、被覆のある装置と原理が異なることを記載しているだけで被覆の使用を否定していない。

上記の理由から、引用例1には、磁性膜に酸化けい素等の被覆を設けることも示唆されているとみることができる。そして、引用例1における酸化けい素等の被覆が保護膜としても機能することは当業者にとって明らかである。

〈2〉 S/N比の改善等の特別の目的と関係しない、磁気記録媒体の磁性膜を傷や劣化から保護するために保護膜を設けることは、当業者にとって普通のことである。磁性膜の表面に保護膜を設けることが本願出願前普通に実施されていたことは、乙第2号証の第2頁左下欄に、基板上に垂直磁化膜を蒸着し、その上にSiO等の「保護膜」を数1000Å被覆した磁気光学薄膜が記載されていることからも明らかである。

〈3〉 以上のとおりであるから、保護膜については本願発明と引用例1の発明との間に格別の相違があるとはいえないとした審決の認定に誤りはなく、取消事由1は理由がない。

(2)  取消事由2について

〈1〉 引用例1には、「平面偏光が磁性表面から反射される時、それによって生ずる磁気光学回転はカー(Kerr)効果と呼ばれかつ本発明においてはこの効果が強磁性材料の薄膜内の反射および干渉現象によって強められる。」(第1頁右欄15行ないし18行)と記載されており、光検出系は直接反射光と透過光(反射膜で反射される)を合成されたものとして分離しないで検出するものである。仮に、透過光のみを分離して検出するものとすれば、カー効果も干渉現象もなくカー効果は強められないので引用例1の上記記載と矛盾する。また、仮に、直接反射光のみを分離して検出するものとすれば、カー効果が強められないので(反射膜の有無で直接反射光に対するカー効果は変わらない。)、引用例1の上記記載と矛盾する。

磁性膜表面で直接反射される直接反射光のカー回転は、磁性膜の裏側に反射膜があるか否かで変わらないから、カー回転が見かけ上増加することの原因は透過光にある。

したがって、この主要な透過光に着目して、「引用例1に記載された、磁性膜に反射膜を設けてカー回転を増加させるという技術は反射膜によって磁性膜内での光の光路長を増加させることに依拠している」とした審決の判断は正当である。そして、磁性膜に反射膜を設けたことで直接反射光のカー回転がなくなるはずはなく、審決も「カー回転」と認定しているのであるから、直接反射光に対するカー回転を除外していない。反射膜がなければ透過光(反射膜で反射される)はないが、直接反射光は存在し、読出光にカー回転を与える。反射膜があれば透過光と直接反射光が存在するが、直接反射光についてのカー回転は反射膜のない場合と変わらない。このことからしても、審決の上記判断が直接反射光を除外していないことは明らかである。

以上のとおり、審決は、引用例1に記載された磁気光学記憶素子の動作原理を誤認していない。

〈2〉 引用例1の「磁性層14は蒸着技術によって銀基質13上に沈着させた磁性材料の薄膜でありかつその中の磁区が標準磁気記録頭部によって横あるいは縦方向に向けられるような性質を持つものである。」(第1頁右欄下から4行ないし末行)との記載のうち特に「横あるいは縦」という記載からみて、引用例1の磁性膜の磁化モードは、面内磁化だけでなく垂直磁化も示唆しているとみることができる。

したがって、引用例1の磁性薄膜の磁化モードは面内磁化のみであるとする原告の主張は失当である。

なお、垂直磁化も面内磁化も本願の出願前周知のものであり、面内磁化か、垂直磁化かは磁性膜の磁化容易軸の方向によって決まるものであり、磁気記録頭部で決まるものではないから、「標準磁気記録頭部」によって記録される磁化は当然に面内磁化である旨の原告の主張は失当である。また、磁性構造に斜めに入射し、斜めに出射する光で垂直磁化を検出できることは周知のことであるから、引用例1の図面第1図の磁性材料薄膜Sの磁化モードは面内磁化を指すものであるとの原告の主張も失当である。

本願明細書では、カー回転が増加するメカニズムについて説明されていないが、直接反射光に(反射膜による)透過光が寄与するからであり、磁性膜の磁化状態は条件となっていない。また、引用例1の発明においてもカー回転が増加するメカニズムは直接反射光に(反射膜による)透過光が寄与するからであり、磁性膜の磁化状態は条件となっていない。そして、斜め入射光と垂直入射光のいずれに対しても直接反射光と透過光が存在し、面内磁化膜と垂直磁化膜のいずれに対しても直接反射光と透過光が存在するのはいうまでもないことであり、面内磁化膜を透過して磁気光学回転を受けた光と垂直磁化膜を透過して磁気光学回転を受けた光とに検知上の差はなく、引用例1に記載されたカー回転増加のメカニズムが面内磁化膜にも垂直磁化膜にも利用できることは当業者が容易に理解できることである。

したがって、「このような技術が磁気光学効果を有する他の磁性材料にも有効であること、垂直入射光に対しても斜め入射光に対しても有効であることは当業者が容易に理解しうることである。」とした審決の判断は正当である。

〈3〉 引用例2の磁気記録媒体について審決が引用したところは、「希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の光吸収垂直磁化膜」という材料についてであるので、引用例2の発明の目的を捉えて、本願発明の目的と無縁であるとする原告の主張は失当である。

原告は、引用例2の非晶質磁性薄膜の膜厚は500Åをはるかに超えた大きいものであり、このような垂直磁化膜を引用例1の磁性膜として用いて、金属反射膜と組み合わせてみてもカー回転の増加が得られない旨主張するが、この主張は、引用例1の「最適の磁気光学回転を得るには、層14の厚さは入射光線に対し不透明でないように充分小さく取られる」(第2頁左欄34行ないし36行)との記載を無視したものであって失当である。この記載をみれば、引用例1の磁性膜材料として引用例2に記載された非晶質磁性薄膜を用いるときには、その膜厚を充分小さくすることは当業者が当然考慮することである。

また、原告は、本願出願時においては磁性膜の膜厚を500Å以下にすると垂直磁化膜ではなくて面内磁化膜へと転移を起こすものと考えられていた旨主張するが、本願発明は磁性膜の膜厚についての発明ではなく、膜厚が500Å以下であることは本願発明の特許請求の範囲に記載されていないから、原告の上記主張は本願発明の要旨とは関係がないことである。

〈4〉 垂直磁化膜の磁気光学的読出しにおいては光を磁気面に垂直に入射することは普通に実施されていることである。また、乙第1号証に記載されているように、垂直磁化は斜め入射光でも読み出すことができ、カー効果の検出は光が磁気面に垂直に入射されることを必要としない。要するに、光の入射角をどの程度(垂直入射が含まれるのは当然)にするかは読出光学系の問題であって「保護膜」、「垂直磁化膜」、「金属磁化膜」の積層構造からなる磁気光学記憶素子の構造とは直接の関係はないものである。

本願発明の原理は、直接反射光に(反射膜で反射される)透過光が寄与するからであり、この原理は垂直入射光に対してのみ働くものではない。

したがって、本願発明における垂直磁化膜についての「光が磁気面に垂直に入射される」という限定に格別の意味を見出せないとした審決の判断に誤りはない。

〈5〉 引用例1の発明は、本願発明と「情報再生用の光に対してカー回転を与える磁性合金等の磁性膜に、前記光に対して充分な反射率を有する金属反射膜を設けて、カー回転を増加させる」という技術思想で共通する。そして、引用例2に記載されている、希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の光吸収垂直磁化膜の情報読出しにはポーラー・カー効果が利用されるのであるから、引用例2に記載されている希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性合金等の光吸収性を有する垂直磁化膜を引用例1の磁性膜として用いることは当業者にとって格別困難なこととは考えられない。

以上のとおりであって、相違点についての審決の判断に誤りはなく、取消事由2は理由がない。

第4  証拠

証拠関係は、書証目録記載のとおりである(書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。)

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

2  本願発明の概要

甲第2号証(本願発明の特許願書添付の明細書、図面)、第3号証(昭和56年11月27日付け手続補正書)、第4号証(昭和58年12月12日付け自発手続補正書)及び第5号証(昭和59年11月1日付け手続補正書)(以下、総称して「本願明細書」という。)によれば、次の事実が認められる。

高密度、大容量、高速アクセス等種々の要求を満足し得る光メモリ装置のうちでも、記憶材料として種々の垂直磁化膜を有するものを用いた磁気光学記憶素子は情報の書き換えが可能であることから注目されている。しかし、このような磁気光学記憶素子は、再生信号レベルが低いという欠点があり、特に磁気光学記憶素子からの反射光を利用して情報の再生を行うカー効果再生方式においては、カー回転角が小さいため、S/N比を高めることが困難であった。従来では、S/N比を高めるために、例えば、記録媒体(具体的にはMnBi製の磁性薄膜)上に誘電体膜(具体的にはSiO製の膜)を形成してカー効果を強め、大きなカー回転角が得られるようにした。しかし、この場合には、反射光量自体が減少してしまうので、S/N比の大きな増大は望み得ないものであった(例えば、カー回転角を5倍程度に増加させた場合でも、S/N比は2倍程度にしかならない。)。また、MnBi製の磁性膜以外の磁性薄膜を用いた場合でも、該磁性薄膜上に誘電体膜を適当な厚さで形成することによって、同様にカー効果を増加させることが可能であるが、カー効果が増加する誘電体の膜厚は、反射率を減少させる膜厚、即ち反射防止膜としての厚みであり、S/N比の大きな増大は望み得ないものであった。

本願発明は、このような従来技術の欠点を解決することを目的とし、反射光の反射率を特に減少させることなくカー回転角を増加させ、再生情報のS/N比を向上させるため、前記要旨のとおりの構成を採用したものである。

3  取消事由に対する判断

引用例1及び2に審決摘示の記載があること、引用例1には保護膜の記載は見当たらないこと、本願発明と引用例1の発明とは、本願発明の磁性膜が希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の磁気面に垂直に入射される光吸収性を有する垂直磁化膜であるのに対し、引用例1の磁性膜はそのようなものではない(実施例として、鉄-コバルト膜、鉄膜、コバルト膜、ニッケル膜が例示されている。)点で相違するが、情報再生用の光に対してカー回転を与える磁性合金等の磁性膜に、前記光に対して充分な反射率を有する金属反射膜を設けて、カー回転を増加させるという技術思想で共通することは、当事者間に争いがない。

(1)  取消事由1について

〈1〉  原告は、引用例1には、磁性膜に酸化けい素等の被覆を設けることも示唆されているとした上、その被覆が保護膜として機能することは当業者にとって明らかであるとした審決の認定判断を争うので、この点について検討する。

ⅰ)上記のとおり、引用例1の第3頁左欄4行ないし10行には「カー回転は磁性層の上に酸化けい素あるいは硫化亜鉛のような材料を被覆することによって増すことがよく知られているが、この被覆を用いるとレフレクタンスが小さくなりしたがってフィガーオブメリットの最適値が低下する。しかし、この種の被覆層の磁気光学特性は本発明で明かにした反射基質の使用によってさらに強化することが出来る。」と記載されていることは当事者間に争いがない。

ところで、甲第6号証(引用例1)には、「本発明の主たる目的は最適の磁気光学特性を有する改良した磁気装置を提供することである。また本発明によると与えられた磁気光学装置において最適の信号対雑音比を与える改良した磁気装置を提供することも出来る。平面偏光が磁性表面から反射される時、それによって生ずる磁気光学回転はカー(Kerr)効果と呼ばれかつ本発明においてはこの効果が強磁性材料の薄膜内の反射および干渉現象によって強められる。本発明の主要な特徴は、したがって、反射銀基質上に置いた磁性材料の層を含む磁気装置にして磁性層の厚さが該層が入射光に対し不透明でなく入射光の一部分が層を通過して銀基質から反射されて初めに反射した光と結合するように選ばれた磁気装置構造にある。」(第1頁右欄10行ないし23行)との記載があり、上記磁気装置構造について、引用例1の図面第2図には、台部材12上に銀等の反射基質13を形成し、更にその上に蒸着技術により磁性層14を形成した構造のもの、即ち磁性層表面が露出した構造のものが示されている(別紙図面2の第2図参照)が、一方、「本発明は入射電磁波を変調するために磁性表面を利用するどんな装置にも使うことが出来る。たとえば、レーザー(Laser)変調の場合、ガラス壁よりなる導波管を用いその外側表面に薄い磁性膜を着けかっ反射基質を該層の上に載せる。したがって、本発明は銀基質が台12と磁性層14の間に置かれる第2図の構造に限定されず、むしろ本発明は一表面上に入射光源を受け反対側の表面が第2図に図解的に示したように光を反射するための反射基質に接する磁性層にある。」(第2頁左欄14行ないし22行)との記載、及び「本分野の熟達者には本発明の変型が考えられるであろう。したがって本発明は図示の好適実施型に詳細の点まで制約されるものではない。」(第3頁右欄11行ないし13行)との記載があることが認められ、これらの記載によれば、引用例1の発明は、磁性表面からの反射光に生ずるカー効果を利用した磁気光学装置一般を対象とし、同装置において、そのカー効果を強め、信号対雑音比を向上させることを技術課題とするものであって、その達成のために、反射基質の採用と磁性層の厚みの選定による上記磁性表面からの反射光と反射基質からの反射光との結合(干渉)を必須の要件とするものではあるが、その磁性表面については、入射光を反射させてカー効果を生じさせるものであれば足り、特に、上記第3頁右欄11行ないし13行の記載からみて、図面第2図に示されるような磁性層表面が露出した構造のものでなければならないというものではないと認めるのが相当である。

しかして、この認定を前提として、当事者間に争いのない引用例1の上記記載部分(引用例1の第3頁左欄4行ないし10行)について考えると、この記載部分は、カー効果を増強するための被覆を用いた従来周知の磁気光学装置を前提として、即ち上記被覆を使用する場合を前提として、その場合に得られる磁気光学特性を、引用例1の発明が特徴とする反射基質を付加することによって更に強化することができたという趣旨のものと解するのが相当である。

ⅱ)原告は、引用例1の上記記載部分は酸化けい素等の被覆の使用に否定的であって、酸化けい素等の被覆に代えて反射基質を使用することを開示しているものと解すべきである旨主張する。

しかしながら、引用例1の上記「この被覆を用いるとレフレクタンスが小さくなりしたがってフィガーオブメリットの最適値が低下する。」との記載は酸化けい素等の被覆を使用する場合の欠点をいうものではあるが、同引用例には「カー回転は磁性層の上に酸化けい素あるいは硫化亜鉛のような材料を被覆することによって増すことがよく知られている」として、酸化けい素等の使用によりカー回転が増大するという利点も記載されているのであるから、上記のような欠点を挙示したことが直ちに上記被覆の使用の排除を意味しているとまで解することは相当ではない。また、引用例1の「しかし、この種の被覆層の磁気光学特性は本発明で明かにした反射基質の使用によってさらに強化することが出来る。」との記載は、前記のとおり、被覆の使用を前提として、その場合に得られる磁気光学特性を引用例1の発明による反射基質の使用によって更に強化することができるという趣旨のものと解するのが相当であり、原告が主張するように、被覆に代えて反射基質を使用すること、及びこれによるフィガーオブメリット(S/N比)の増加を意味しているとは解し難い。

したがって、原告の上記主張は理由がない。

ⅲ)原告は、引用例1の「したがって、被覆のある装置と異なって、本発明は磁気光学回転と反射能との間の最適の関係を達成する構造を選ぶことにより最適のフィガーオブメリットを得る。」(第3頁右欄2行ないし5行)との記載は、上記被覆と反射基質とを併用しないことを明らかにしたものであり、また、引用例1の図面第2図では、磁性層14は銀基質上に沈着しているが、磁性層14の反対側の面は露出しているのであるから、これらのことからしても引用例1には磁性層の上に被覆を設けることが記載、もしくは示唆されているということはできない旨主張する。

しかしながら、甲第6号証によれば、引用例1の上記記載部分は、磁性層の上に被覆を設けた従来周知の磁気光学装置が前記のような欠点を有することの理由についての記載(第3頁左欄15行ないし右欄2行)に引き続いて記述されたものであることが認められ、このことからすると、上記記載部分中の「被覆のある装置」とは、従来周知の装置、即ち被覆はあるが、反射基質を有していない装置のことであると認められる。したがって、上記記載部分の意味するところは、反射基質を有する引用例1の発明が従来周知の装置とは異なるものであることをいうにすぎず、引用例1の発明においては、被覆と反射基質とを併用しないことを明らかにしたものであるとは認められない。また、引用例1の図面第2図に示された、磁性層表面が露出した構造は、引用例1の発明にとって必須のものではなく、同発明がこのような構造に限らず、被覆と反射基質とを併用する構造をも採り得ることは前記ⅰ)において認定したとおりである。

したがって、原告の上記主張は理由がない。

ⅳ)以上のとおりあるから、引用例1には、磁性膜に酸化けい素等の被覆を設けることが示唆されているとみることができるとした審決の認定に誤りはないものというべきである。

ⅴ)甲第2号証によれば、本願発明において磁化膜(磁性膜)に積層される保護膜の一例として、酸化けい素が挙げられていることが認められるから、本願発明と引用例1の発明は、磁性膜上に酸化けい素の被覆を形成する点において一致するものということができる。

ところで、甲第2号証ないし第5号証の本願明細書には、本願発明における保護膜の技術的意義や機能について特にこれを規定する記載はないことが認められるから、本願発明における保護膜とは、これを字義上の通常の意味に解し、磁性膜表面を被覆して傷や劣化から保護し得るものであれば足りると解するのが相当であり、酸化けい素は、その化学的性質に照らし、かかる機能を有するものの一つとして、本願発明が採択しているものと認めることができる。

そうであれば、引用例1の発明においても、酸化けい素が上記のような磁性膜表面を保護する機能を有することは明らかであるということができる。そして、酸化けい素がかような保護的機能を有することについて、本願発明において初めて見いだされたものと認めるに足りる証拠もない以上、引用例1における酸化けい素の被覆が保護膜としても機能するものであることが当業者にとって明らかであるとした審決の判断はその結論において誤りとはいえず、結局、磁性膜上に保護膜が被覆されている点において両発明に構成上の差異はないものというべきである。

〈2〉  次に、磁気記録媒体の磁性膜の傷や劣化防止のために磁性膜の表面に保護膜を設けることは本願出願前普通に実施されていることであるとした審決の認定の当否について検討する。

ⅰ)この点に関し原告は、本願発明における保護膜は、第1に垂直磁化膜を保護するもの(金属反射膜が一面に設けられた、希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の、光が磁気面に垂直に入射される光吸収性を有する垂直磁化膜の他面が露出しないように保護するもの)であり、第2に情報再生用の光を通過させて磁気面に垂直に入射させるものであるところ、このような作用を奏する保護膜を設けることは本願出願前普通に実施されていたことではないにもかかわらず、審決はこの点を看過した旨主張する。

しかし、本願明細書(甲第2号証ないし第5号証)にも、本願発明における保護膜が垂直磁化膜に対するものであることに格別の技術的意義がある旨の記載は一切存しないことが認められるから、本願発明における保護膜は、前記のとおり、磁性膜表面を被覆して傷や劣化から保護し得るものであれば足り、本願発明におけるような垂直磁化膜を保護するために用いられた点に格別の技術的意義はないものというべきである。また、情報再生用の光を通過させて磁気面に垂直に入射させるものであるとの点も、磁性膜が垂直磁化膜であることによる当然の結果にすぎないものであることは明らかであるから、この点に格別の技術的意義があるとはいえない。したがって、審決が、本願発明における保護膜が特に垂直磁化膜に対するものである点に格別の作用効果があるものとして取り上げなかったことに、原告主張のような看過はないものというべきである。

ⅱ)次に、磁気記録媒体の磁性膜の傷や劣化防止のために磁性膜の表面に保護膜を設けることが本願出願前普通に実施されていたことを裏付けるために、被告が援用した乙第2号証(特開昭52-91197号公報)には、ファラデー効果を利用する磁気光学薄膜について、「SiO等の保護膜を数1000Å被覆した後、拡散のための焼鈍を300~400℃にて数時間行なう。ここで保護膜は薄膜生成のために必ずしも必要ではなく、反射防止等光学的特性の改善のために施すものであり、」(第2頁左下欄12行ないし16行)と記載されているが、この記載のみから上記事実を肯認することはできず、したがって、上記保護膜を設けることは本願出願前普通に実施されていることであるとした審決の認定は誤っているものといわざるを得ない。

しかし、前記〈1〉に認定のとおり、引用例1の発明は磁性膜表面を酸化けい素で被覆した構造を採り得るものであり、かつ、この被覆は本願発明における保護膜と同等の機能を奏するのであるから、審決の上記認定の誤りは、保護膜については本願発明と引用例1の発明との間に格別の相違があるとはいえないとした審決の認定に影響を及ぼすものではない。

〈3〉  以上のとおりであるから、保護膜については本願発明と引用例1の発明との間に格別の相違があるとはいえないとした審決の認定判断に誤りはなく、取消事由1は理由がない。

(2)  取消事由2について

〈1〉ⅰ)甲第6号証(引用例1)には、引用例1の発明に係る磁気光学記憶素子の作用について、鉄-コバルト等の強磁性材料より成る磁性膜に平面偏光が入射されると、入射光は磁性膜表面で反射する反射光と磁性膜内を透過する透過光(屈折光)とに分かれ、反射光にはカー回転が生ずる一方、透過光には磁性膜内での光路長が大きくなると共に増す磁気光学回転が生じ、この透過光は不透明とならない程度に充分に小さい厚さの磁性膜を通過し、磁性膜によって吸収される前に金属反射膜によって反射して上記磁性膜表面での反射光と結合し、この結合に基づく干渉によって反射光のカー回転が増加する旨記載されていることが認められる。

原告は、上記のように反射膜によって磁性膜内での光の光路長が増加するのは透過光のみであることを理由として、審決の「引用例1に記載された、磁性膜に反射膜を設けてカー回転を増加させるという技術は反射膜によって磁性膜内での光の光路長を増加させることに依拠している」との判断は、引用例1の磁気光学記憶素子の動作原理について誤認し、磁性膜で反射する反射光及びこれに生じているカー回転を看過しているのみならず、カー回転の生じている反射光と、金属反射膜で反射する、ファラデー効果が生じている透過光とが干渉してカー回転の増加が生じることをも看過している旨主張するので、この点について検討する。

ⅱ)反射膜による磁性膜内での光路長の増加が透過光にのみ生ずるものであることは原告指摘のとおりであるから、審決の上記判断は、カー回転の増加作用について、実質的には反射膜によって反射される透過光に依拠しているとの判断を示しているものよ認められる。

ところで、前示審決の理由の要点によれば、審決の上記判断は、引用例1に記載された磁気光学記憶素子におけるカー回転の増加技術が磁性膜の磁性材料や磁化方向あるいは磁性膜に対する光の入射方向を問わずに適用可能な技術であることを理由づけるためになされたものと認められるが、以下述べるとおり、その判断に引用例1の磁気光学記憶素子の動作原理についての誤認、及び原告主張の看過は存しないものというべきである。

まず、審決は、引用例1の磁気光学記憶素子について「情報再生用の光に対して充分な反射率を有する金属反射膜と、前記光に対してカー回転を与える磁性合金等の磁性膜とから成る」ものと摘示し、本願発明と引用例1の発明とは、情報再生用の光に対してカー回転を与える磁性合金等の磁性膜に、前記光に対して充分な反射率を有する金属反射膜を設けて、カー回転を増加させるという技術思想で共通する(この点は当事者間に争いがない。)と認定し、この認定を前提として上記判断をしているものと認められる。

ところで、引用例1の磁気光学記憶素子では、上記のとおり、磁性膜表面から入射されて磁性膜内を通過した透過光を反射膜により磁性膜表面に向けて反射させるようにした結果、透過光が磁性膜の表面反射光と結合し、この表面反射光に生じているカー回転が増加するのであるから、このカー回転増加の基本的原因は、反射膜によって透過光に対する磁性膜内での反射光路を形成したこと(それだけ透過光の磁性膜内での光路長が増加している)にあるということができる。そして、引用例1の「本発明の主たる目的は最適の磁気光学特性を有する改良した磁気装置を提供することである。また本発明によると与えられた磁気光学装置において最適の信号対雑音比を与える改良した磁気装置を提供することも出来る。平面偏光が磁性表面から反射される時、それによって生ずる磁気光学回転はカー(Kerr)効果と呼ばれかつ本発明においてはこの効果が強磁性材料の薄膜内の反射および干渉現象によって強められる。本発明の主要な特徴は、したがって、反射銀基質上に置いた磁性材料の層を含む磁気装置にして磁性層の厚さが該層が入射光に対し不透明でなく入射光の一部分が層を通過して銀基質から反射されて初めに反射した光と結合するように選ばれた磁気装置構造にある。」(第1頁右欄10行ないし23行)との記載、及び「第2図に示すように、入射光線B1が反射光線B20と屈折光線とに分れ、屈折光線は磁性材料の層14が充分の厚さを持つときに層14内で吸収される。本発明においては、反射層13が層14の表面下に挿入されて屈折光線が層14によって吸収される前にそれを反射する。この第2の反射成分B21が成分B20に対して磁性層14の外表面下の層13の深さによって変わる位相差を持つ。したがって層14の厚さの変化が磁性材料によって反射光に加えられる磁気光学的成分の変化をもたらしかつ成分B20とB21(および層14によって吸収されない後続の反射光線)との干渉を生ずる。」(第2頁左欄1行ないし11行)との記載によれば、上記反射光路の形成によるカー回転の増加技術は、表面反射光にカー回転が生ずる一般的な磁性材料の層(磁性膜)を対象として、その厚みを、透過光が反射光路を経て磁性膜表面に至るまでに吸収されてしまわないよう(不透明とならないよう)、また透過光の磁性膜表面での反射光に対する位相差が適切なものとなるよう設定する(即ち、磁性膜内での透過光の光路長増加の程度を設定する)ことにより、反射光と透過光との結合(干渉)、及びこれによるカー回転の増加を達成し得るものであることが認められ、その場合、特に磁性膜に用いられる磁性材料や磁化方向、あるいは磁性膜に対する光の入射方向等が特定のものであることを要するものではないことは、引用例1の磁気光学記憶素子の動作の基本的原理を説明した上記第1頁右欄10行ないし23行の記載から明らかなところであり、また、そのように特定しなければならない技術的要請を認めるに足りる証拠もない。

もっとも、引用例1には磁性膜に用いられる磁性材料として鉄-コバルトの合金、鉄、コバルト、ニッケルが挙げられているが、これらは実施例として例示されているにすぎず、これらの磁性材料に限定されるものと認めるに足りる証拠はない。また、引用例1の図面第1図、第2図には磁性膜に対する光の入射方向を斜めにした構成が図示され、その磁性膜に関し、引用例1には「その中の磁区が標準磁気記録頭部によって横あるいは縦方向に向けられるような性質を持つものである。」(第1頁右欄42行ないし末行)と記載されているが、上記第1図、第2図の構成は、引用例1の磁気光学記憶素子の動作の基本原理説明のための一実施例を示したにすぎないものと認められ、したがって、同磁気光学記憶素子における光の入射方向や磁性膜の磁化方向についてまで規定したものとは認められない。

以上によれば、審決は、引用例1の磁気光学記憶素子の磁性合金等の磁性膜は情報再生用の光に対してカー回転を与えるものであり、前記光に対して充分な反射率を有する金属反射膜はカー回転を増加させるものであることを的確に把握・認定した上、引用例1の発明の特徴として、カー回転の増加が透過光に対する反射光路の形成と磁性膜の厚みの設定に依拠していることを指摘し、特に磁性膜に用いられる磁性材料や磁化方向、あるいは磁性膜に対する光の入射方向如何とは関わりがないものであるということを説示する趣旨で上記判断を示したものと解するのが相当であり、判断内容に原告が主張するような動作原理の誤認、看過があるということはできない。

したがって、上記判断を前提として、引用例1の技術が磁気光学効果を有する他の磁性材料にも有効であるとした審決の判断にも誤りはない。

〈2〉  原告は、引用例1の磁気光学記憶素子における磁性膜の磁化モードは面内磁化であって、垂直入射光に対しては全く有効ではないものであるのに、審決がこの点を等閑にして、引用例1の技術が垂直入射光に対しても斜め入射光に対しても有効であることは当業者が容易に理解し得ることであると判断したのは誤りである旨主張するので、この点について検討する。

原告の上記主張は、引用例1の磁気光学記憶素子では、その磁性膜の磁化モードが面内磁化に特定されるものであることを前提とするものであるが、前記〈1〉ⅱ)で認定したとおり、引用例1の磁気光学記憶素子は、カー回転の増加を達成する上で磁性膜の磁化方向(磁化モード)が特定のものであることを要しないのであり、したがって、磁性膜の磁化方向が面内磁化に特定されているということはできないから、原告の上記主張は、その前提において失当である。

もっとも、引用例1には「磁性層14は蒸着技術によって銀基質13上に沈着させた磁性材料の薄膜でありかつその中の磁区が標準磁気記録頭部によって横あるいは縦方向に向けられるような性質を持つものである。」(第1頁右欄下から4行ないし末行)と記載され、図面第1図には光源からの入射光が磁性材料薄膜Sに斜めに入射し、斜めに出射しているものが図示されているところ、上記磁性材料の薄膜は、その磁区の向き、即ち磁化方向が横あるいは縦方向に向けられるような性質を持つというのであるから、その磁化モードは、甲第21号証(「MALUZEN IEEE 電気・電子用語辞典」平成元年9月30日 丸善株式会社発行)及び第22号証(電子通信学会編「電子通信用語辞典」初版第2刷 昭和61年7月30日 株式会社コロナ社発行)によって認められる一般的な磁気記録媒体の磁化モードである横方向磁化、縦方向磁化、垂直磁化のうちの横方向磁化あるいは縦方向磁化(いわゆる面内磁化)を採るものであると認められる。

しかしながら、引用例1の磁化モードに関する上記記載及び光の入射・出射方向に関する上記図示は、前記〈1〉ⅱ)で認定したとおり、いずれも引用例1の磁気光学記憶素子の一実施例についてのものであって、これらの記載・図示をもって、引用例1の磁気光学記憶素子における磁性膜の磁化モードが面内磁化に限定されるということはできないから、審決が、引用例1の磁気光学記憶素子における磁性膜の磁化モードを特に認定しなかったからといって、何らこれを等閑にしたということはできない。

そして、引用例1に記載された磁気光学記憶素子におけるカー回転の増加技術が、磁性膜の磁化方向を問わずに適用できる技術であることは前記〈1〉ⅱ)において説示したとおりであるから、上記技術が垂直入射光に対しても斜め入射光に対しても有効であることは当業者が容易に理解しうることであるとした審決の判断に誤りはない。

原告が引用例1の磁性材料薄膜の磁化モードが面内磁化であると主張する第1の理由は、引用例1の特許出願の優先権主張の基礎となった米国特許明細書の記載を根拠とするにすぎず、引用例1の発明の技術的意義の把握は引用例1の明細書自体によらなければならないものである以上、上記米国特許明細書の記載が原告の主張を決定的に裏付けるものではなく、第2の技術水準に関する主張及び第4の鉄-コバルト合金等の磁性材料による技術的実現不可能に関する主張はいずれもこれを認めるに足りる証拠はなく、第3の主張の根拠とする引用例1の第1図が一実施例にすぎないことは既に述べたとおりである。

したがって、原告の上記主張は理由がない。

〈3〉ⅰ)原告は、引用例2の発明の目的はカー回転の増加とは無縁のものであり、また、同引用例に記載されている磁気記録媒体たる垂直磁化膜の膜厚は、情報再生用の光に対する反射率を保持し、カー回転の増加効果を得ることができる膜厚である500Åよりもはるかに大きい2000Åに選択されたものであるから、引用例1の磁気光学記憶素子と組み合わせ、その磁性膜として用いることはできないし、カー回転の増加も得られない旨主張するので、この点について検討する。

甲第7号証(引用例2)によれば、引用例2の発明に係る垂直磁化膜(遷移金属と鉄族金属を主成分とする非晶質磁性薄膜)は、カー回転の増加を図ることとは関係がなく、高密度記録を行うために、書込みビットを例えば直径1ミクロン以下に極めて小さくしても磁気的及び熱的に安定な2値信号の記録を行うことができるようにすることを目的として、両金属の組成比を厚さ方向に変化させる(例えば組成比の異なる薄膜を積層することにより、段階的に変化させる)ようにしたものであって(第2頁左上欄4行ないし17行)、その薄膜は、上記組成比の変化のために比較的厚く、実施例においては2000Åに選定されていることが認められるから、この薄膜による透過光の吸収を考えると、カー回転の増加を目的とした引用例1の磁気光学記憶素子における磁性膜として用いるには適合性を有しないものであるといえなくもない。

しかしながら、引用例2の「従来、希土類金属と鉄族金属とを主たる成分とする非晶質磁性薄膜は、2値信号の記録を行なうに好適な磁気記録材料として種々開発が進められている。特に熱磁気記録用として好適な非晶質磁気記録材料であるガドリニウム・コバルト(GdCo)薄膜を例にとって説明すると、・・・2値信号により変調したレーザビームをその磁性材料薄膜に照射することにより磁化の向きを正として反転させた書き込みを行ない、一方、かかる反転記録を行なった2値信号の読み出しは、通常、ポーラー・カー効果を利用して行なう。」との記載(第1頁左欄16行ないし右欄8行)によれば、引用例2は、その発明に係る上記垂直磁化膜を開示しているだけではなく、その前提として、希土類と遷移金属(鉄族金属)とから成る非晶質の垂直磁化膜自体が、一般にカー効果を利用して情報の再生を行う磁気記録媒体として知られているものであることをも明らかにしているものと認められる。そして、審決は、引用例2の記載内容について、「希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の光吸収性垂直磁化膜を記録担体とした磁気記録媒体が記載されている。」と摘示していることからも明らかなように、引用例2が、上記のような垂直磁化膜がカー効果を利用して情報の再生を行う磁気記録媒体として知られていることを明らかにしていることから、引用例2の垂直磁化膜を引用例1の磁性膜として用いることが当業者にとって格別困難ではないとしているのであって、引用例2の発明の目的や垂直磁化膜の膜厚を考慮して上記判断をしているのではないから、原告の上記主張は失当といわざるを得ない。

そして、引用例1の磁気光学記憶素子もカー効果を利用して情報の再生を行うものであって、そのカー回転を磁性膜の磁化モードの如何に関わらず増加し得るものであることからすると、引用例1の磁気光学記憶素子の磁性膜として、引用例2に記載されている希土類と遷移金属とから成るアモルファス磁性体合金等の光吸収性を有する垂直磁化膜を用いることは、当業者にとって格別想到困難なこととは考えられない。

ⅱ)原告は、本願の出願当時においては、磁性膜が垂直磁化膜である場合には、その膜厚を500Å(反射膜によるカー回転の増加効果を得ることができる膜厚)以下にすると、その垂直磁化膜が面内磁化膜へと転移してしまうと考えられていたのであるから、引用例1の磁気光学記憶素子の磁性膜として、本願発明のように、垂直磁化膜を採用することは、本願の出願当時の技術水準からみて予測不可能なことである旨主張する。

しかしながら、本願発明の特許請求の範囲には、垂直磁化膜の膜厚が500Åであることは記載されていないのであるから、原告の上記主張は本願発明の要旨とは関係のない事項を前提とするものであって理由がない。

なお、甲第15号証(特開昭52-31703号公報)には、テルビウムー鉄系の非晶質合金よりなる磁性薄膜記憶媒体に関して、「膜面に垂直な方向が磁化容易軸になるようにするためにはTbとFeの組成を15atom%~30atom%Tbの範囲に制限する必要がある。また、膜面に垂直な方向が磁化容易となるようにするためには膜厚を500Å以上にしなければならない。」(第2頁右下欄3行ないし8行)、甲第16号証(「電子通信学会技術研究報告」第76巻第35号・1976年5月27日発行)には、「非晶質(Gd、Tb、Dy)-(Fe、Co)合金薄膜の磁性と応用」と題する論文中の「Ⅳ 磁気カー効果と鉄の磁気モーメント」の項に「GdFe膜は500Å以上の膜厚になると、補償組成付近では膜面に垂直の磁化容易軸となるので、それをさける為に、400Åの膜厚を有するGd-Fe組成勾配薄膜を作製し、ロンジチュールカー効果によってヒステリシス曲線を測定した。」(第14頁右欄4行ないし8行)、甲第27号証(「画像技術」第6巻第8号・1975年8月号)には、「非晶質磁気バブル材料と記録」と題する論文中の「4.非晶質バブル膜の作成」の項に、Gd-Co膜について、「膜の特性は作成条件によって異なり、2000Å以下では磁化が膜面と平行になるので、バブル材料としては不適当である。」(第46頁右欄8行ないし10行)との各記載があることが認められ、これらの各文献に示された希土類と遷移金属より成る非晶質磁性薄膜の例では、垂直磁化膜であるための所要膜厚はいずれも500Å以上の値でなければならないとされているけれども、これらの所要膜厚は、Te-Fe膜、Gd-Fe膜、Gd-Co膜の特定材料よりなる磁性膜についてのものであること、所要膜厚の下限は、Te-Fe膜とGd-Fe膜については500Å、Gd-Co膜については2000Åとされていることからも明らかなように、材料の組合わせに応じて異なり、一義的には決まらないものであることからすると、上記各文献に示された例をもって、本願の出願当時においては、磁性膜(希土類と遷移金属から成る非晶質の磁性薄膜)が垂直磁化膜であるための所要膜厚は500Å以上であると考えられていたものと即断することはできない。

〈4〉  原告は、本願発明における垂直磁化膜についての「光が磁気面に垂直に入射される」という限定に格別の意味を見出せないとした審決の判断は誤りである旨主張するので、この点について検討する。

ⅰ)光が磁気面に垂直に入射される、即ち垂直磁化膜を用いる本願発明の磁気光学記憶素子は、前記2項で認定したとおり、高密度、大容量、かつ書き換え可能なものであり、本願発明は、このような磁気光学記憶素子を対象として、そのカー回転の増加を図り、S/N比を向上させることができるものである。

しかしながら、垂直磁化膜の磁気光学的読出しにおいて光を磁気面に垂直に入射することが普通に実施されていることは当事者間に争いがなく、前記〈3〉ⅰ)において認定した引用例2の記載によれば、引用例2の発明は高密度、大容量、かつ書き換え可能なものと認められる点を考慮すると、本願発明の上記作用効果は、引用例2の垂直磁化膜を引用例1の磁性膜として用い、カー回転の増加を図るようにしたことによって当然にもたらされるものであって、格別のものとは認め難い。

ⅱ)原告は、カー効果は光の波数ベクトルと磁化とのスカラー積に比例するので、両者が並行な場合(垂直磁化膜の磁気面に光が垂直に入射する場合)が最も大きいものであるところ、引用例1の発明において光を磁気面に垂直に入射させると、磁化モードが面内磁化であることに基づいて、磁気光学回転を全く得ることができず、また引用例2の発明において光を磁気面に垂直に入射させても、カー回転の増加は得られず、S/N比の改善も期待できないと主張する。

しかしながら、引用例1の発明における磁性膜の磁化モードが面内磁化に特定されるものでないことは前記認定のとおりであり、その磁性膜として引用例2に示されるような垂直磁化膜を採用し、カー回転の増加を図ることができることはすでに認定したとおりであるから、原告の上記主張は理由がない。

〈5〉  以上のとおりであるから、相違点に対する審決の判断に誤りはなく、取消事由2は理由がない。

4  よって、審決の違法を理由としてその取消しを求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 濵崎浩一 裁判官 押切瞳)

別紙図面1

〈省略〉

別紙図面2

〈省略〉

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